「我が家」のように
あたたかい鶴田町
鶴田町は、昭和52(1977)年、アメリカ合衆国フッドリバー市と姉妹都市を締結して以来、中学生大使の派遣や国際交流員の招致など、県内でも先駆的な取り組みを行ってきた。
毎年6月に開催される「外国人青年による津軽弁大会」では、国際交流員が寸劇やダンスなどを披露し、会場は爆笑の渦に包まれる。
フッドリバー市出身で、鶴田町の国際交流員として活動し、現在は、青森保健大学で語学講師を務めるアーネスト・メイさん。
5年間暮らした鶴田町での想い出やエピソードを伺った。
鶴田町とその周辺地域は自然が豊か
フッドリバー市に住んでいた高校生の頃、日本から数人の交換留学生が来ていたんですね。彼らと親しくなったことや、日系アメリカ人の友人が多かったことから、以前から日本には興味がありました。
日本に住んでみたいと思っていた時に、ちょうどタイミング良く鶴田町で国際交流員として働けることになり、平成12(2000)年に鶴田町にやって来ました。鶴田町では、姉妹都市交流の支援活動として、学校や地域で英語を教えていました。
鶴田町とその周辺地域は自然が豊かで、フッドリバーの景観に非常に似ているんですよ。町の人たちもとても親切で寛大に接してくれたおかげで、ホームシックになることもなく、たくさんの友達をつくることができました。
早朝5時から町役場の人たちと朝野球をしたり、朝の富士や海部錦と相撲をとったことも良い思い出ですね。
鶴田は私にとって「我が家」であり、
特別な場所
毎年8月に行われる「水と火の祭典 つるたまつり」は、本当に素晴らしいお祭りですね。津軽富士見湖での花火大会、龍神船湖上運行、本町通りでのねぶた運行、200メートルを超える龍巻寿司作りなど、3日間の祭り期間中は興奮の連続で、地域の人たちと一緒に盛り上がりました。
数えきれないほどたくさんの思い出がありますが、なかでも、妻と出会い結婚し、2人の子どもが誕生したことは最も忘れがたい出来事です。
共通の友人たちとよく一緒に、ハイキング、スキー、マウンテンバイク、温泉などに出かけました。そういう意味でも、鶴田は私にとって「我が家」であり、特別な場所なんですよ。
多くの違いがあるようで、
たくさんの共通点がある
鶴田町とフッドリバー市の姉妹都市交流は、日本でも最も古い国際交流プログラムのうちの1つですが、今日まで継続できたのは、それに関わっている人々の献身と情熱のおかげだと思っています。
心と心を開き、お互いの国や立場にたって物事をみることで、たくさんの発見がありました。多くの違いがあるようでいて、逆に思っていたよりもたくさんの共通点があるということにも気づかされました。
姉妹都市交流によって、私自身も生活が大きく変わりましたが、このプログラムは多くの人々に素晴らしい影響を与えていると思います。
2000年にスーツケースを持って、1年間だけのつもりで鶴田町に来た私ですが、将来を分かち合える妻と出会い、2人の子どもと一緒に鶴田町で暮らしました。町を離れた今も、やはり鶴田は私にとって特別な場所であり、私の一部です。
永遠に感謝の気持ちを忘れずに、鶴田で学んだことをこれからの人生に活かしていきたいですね。(談)