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棟方公寿さん(元スーパーリーグプレイヤー)

鶴田が生んだバスケットのヒーロー
子どもたちに夢を与えたい!

バスケットがさかんな鶴田町に生まれ、現役時代は、社会人リーグの中のトップリーグ「スーパーリーグ」で活躍、2度の「年間ベスト5賞」に輝いた棟方公寿(むなかた・こうじゅ)さん。「トヨタ自動車ベイサース」(現・トヨタ自動車アルバルク東京)2005-06JBLスーパーリーグ優勝を花道に39歳で引退、その後、指導者の道へ。2013-2015年、地元「青森ワッツ」のヘッドコーチ、2015-2016年は「信州ブレイブウォリアーズ」のヘッドコーチを務め、2016-2017年は「パスラボ山形ワイヴァンズ」、2017-2018年はWリーグ(女子バスケットボールトップリーグ)「東京羽田ヴィッキーズ」のヘッドコーチを務めた。

鶴田のレジェンドとして
今も語り継がれる、棟方三兄弟

「小さい頃からスポーツが好きで、小学6年の時には、1500メートルで県大会1位になったこともありました。鶴田中学校では陸上部に入部したんですが、体育館で練習しているバスケットボールの方が面白そうだなって(笑)。それで、中2の時、バスケ部に入部したんです」。
バスケで名を馳せていた2人の兄の影響も大きかった。長男の公輝さん、次男の公誠さん、そして三男の公寿さん。板柳町の大善寺のお坊さんに命名してもらったという棟方三兄弟は、後にバスケの街・鶴田のなかでもひときわ目立つ存在へと成長していく。

当時の鶴田中は、県下でも有名なバスケの名門校。棟方さんは、めきめきと頭角を表し、中3の時には、鶴田中学校初の全国大会進出も果たした。
弘前実業高校に進学すると、冬期間は弘前市内に下宿してバスケットに打ち込んだ。

「当時は、男女とも部員がおおぜいいて、1年生は練習でもあまり出番がないんです。だから、自主的に朝練習に行って3年生の先輩と1対1の練習をしていましたね。先輩のプレイを真似することから始まって、こうすれば勝てるとか自分なりの発見をしていく。やっぱ努力ですよ、スポーツは。陰の努力を積み重ねないとダメなんですね」。
高校時代は、インターハイ、国体、選抜優勝大会(ウィンターカップ)をすべて経験。高校選抜選手に選ばれ、韓国での大会にも出場。棟方選手の名は全国に広まっていった。

棟方公寿さん

中学・高校の頃から大活躍していた棟方さん。その功績は、陰の努力の積み重ねがあってこそだと話す。

ここぞという時の救世主!
「神様、仏様、棟方様!」

拓殖大学入学後は、さらに快進撃が続く。1年生の時は、大学初の県大会準優勝。大活躍が認められ「年間ベスト5」に輝いた。2年生の時は、新人戦、リーグ戦、インカレでは大学初の優勝と、あらゆるタイトルを獲得。ここ一番という場面で必ず良いプレイをすることから絶対的な信頼があり、「神様、仏様、棟方様」と崇められた。

1989年には、日本鉱業(後のジャパンエナジー、現・JX金属)に入社。バスケットボール部に入部。長男・公輝さんが所属する東芝との対戦で、兄弟対決をしたことでも話題を呼んだ。
それから数年後、日本の鉄鋼産業に翳りが見え始めると、その影響で所属していたチームが休部に追い込まれる窮地に陥ってしまう。

「バスケを辞める選択肢ですか?当然、頭をよぎりましたよ。当時は人事部に所属していたので、一応出世コースにはいたわけです。ちょうど、30歳の時で、子どもも生まれたばかり。家族の生活を守るため、引退して社員として働く道を選ぶべきか、悩みました」。
しかし、9年間の選手生活のなか、オールジャパンで1度優勝しているものの、リーグ戦優勝は果たしていない。「このままで終わりたくない。自分はまだやれる。もっと上をめざしたい!」。

そんな時、奥さんのひとことが、棟方さんの背中を押してくれた。

「まだやれるんだったら、やってみたらいいじゃない」。

棟方公寿さん

仕事の影響でバスケットを続けることを悩んだこともあったという。しかし、バスケットに対する強い思いと向上心、それに加え、家族のサポートがあり、バスケットを続けることを選ぶ。

スーパーリーグ優勝を花道に引退
指導者の道に

棟方さんは思い切って会社を辞め、1998年、「トヨタ自動車」に契約社員として入社。プロ契約を結び、現役選手を続ける道を選んだ。
当時、最下位だったトヨタだが、順調に成績を伸ばし、ついに迎えたリーグ戦ファイナル。試合は全国ネットの生放送で中継され、解説はモントリオールオリンピック男子バスケットボール日本代表・北原憲彦氏。棟方さんが鮮やかにシュートを決めた瞬間、北原氏が絶叫した。「神様、仏様、棟方様~!!」。

ここぞという時こそ、最強の力を発揮するチームの守り神。この時、棟方さん35歳。見事、念願のリーグ戦優勝を果たしたのだった。
その後も、天才と謳われた田臥勇太選手がアメリカから帰国し、トヨタに移籍したシーズンもレギュラーポジションの座を渡さず、棟方さんの活躍は続く。そして、2度の年間ベスト5賞など個人タイトルを獲得し、スーパーリーグ2005-06優勝を花道に選手生活を引退した。

その後、トヨタの選手兼コーチからヘッドコーチに、日立ハイテククーガーズのヘッドコーチなどを歴任。そして、地元青森からbjリーグ2013-14に新規参入する青森ワッツの初代ヘッドコーチに就任し、2シーズン連続でチームをプレイオフに導く実績を残した。しかし、2015年限りで青森ワッツのヘッドコーチを退任。同年より信州ブレイブウォリアーズのヘッドコーチに就任した。
「選手での成績はある程度残せたものの、コーチとなるとなかなか難しい。プロの世界は、7、8割はスカウティングだし、いい選手を集めて来ないと始まらない。自分でやってる方がよっぽど楽ですよ(笑)」。

棟方公寿さん

地元青森からbjリーグ2013-14に新規参入した青森ワッツの初代ヘッドコーチに就任

憧れは、やがて力になる
未来の子どもたちへとつなぐ夢

「鶴田にはバスケの仲間がいっぱいいるので、帰った時にホッとする。離れていた期間がどれだけあっても、鶴田に戻れば当時のままいられる。一番安心する場所です」。
棟方さん兄弟に名前を授けてくれた大善寺のお坊さんが、色紙にそれぞれ描いてくれた絵を大切にしている。
公輝さんは「鯉の滝登り」、公誠さんは「だるま」、そして、公寿さんは「山」の絵。「だから、というわけでもありませんが、岩木山を見ると『ああ、俺の山だ』と、たまらない気持ちになるんです。離れていても、ずっと心の中にありますよ」。

棟方公寿さんの故郷である青森県鶴田町から見える岩木山。

棟方公寿さんの故郷である青森県鶴田町から見える岩木山。

棟方さんには、今、大きな夢が2つある。
ひとつは、コーチとして花を咲かせたい、チームを優勝に導きたいという指導者としての夢。そして、もうひとつは、青森のバスケット界の後継者育成にかける思いだ。
11年前から津軽地区の小学生を対象に開催している「公寿カップ」は、近年、全県的な広がりを見せ始めた。
「自分が子どもの頃も、大学生とか、どこかのコーチが指導に来てくれればそれだけでうれしかった。みんな、憧れから始まるんです。そして、それは必ず力になる。だから、これからは子どもたちに夢を与えるのが自分の仕事だと思っています」。
バスケの街・鶴田の誇りを胸に挑戦し続ける棟方さん。子どもたちに明日を拓くパッションを与え続ける、永遠のスーパーヒーローだ。

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