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藤田健次さん(版画家)

ふるさとの心象風景や、家族のヒストリーを
多彩な表現で描き続ける

朴(ほお)の木を彫った版木に、のりを混ぜた墨汁を刷毛ですーっすーっと均一に広げていく。上から和紙をのせ、バレンで摺る。さっと紙を持ち上げると、着せ替え人形で遊ぶ可愛らしい童女が現れた。

青森県八戸市在住の版画家・藤田健次さんのアトリエ。童たちが凧揚げや独楽遊びに興じる様子や、囲炉裏端で鍋を囲む家族のほのぼのとした情景など、郷愁を覚える作品が並ぶ。誰もが心のなかに持ち続けている、忘れえぬふるさとの光景、家族との思い出がよみがえり、胸にじんわりと温かいものがこみ上げてくる。

藤田さんは、1939年、鶴田町生まれ。公務員生活のかたわら、版画家、漫画家、エッセイストとしてこれまで多くの作品を手がけてきた。著書『看護婦のオヤジがんばる』シリーズ(あゆみ出版)は、同名映画化され、昭和55年度文化庁優秀映画賞を受賞した。

出来たての版画作品。胸が温かくなる情景が描かれている。

出来たての版画作品。胸が温かくなる情景が描かれている。

竹浪正造さんの漫画に影響を受けて

「子どものころは、大の漫画好き。なかでも手塚治虫が好きで、全ページ暗記するほど読みふけっていました」。ある日、学校から帰ると一通のはがきが届いていた。「丸っこい文字で、『藤田健次君へ。いつも御愛読ありがとう』って。見覚えのあるヒゲオヤジの絵を見て、あっ!と思いました」。手塚治虫から届いた、ファンレターの返事だった。「まさか、返事をもらえるなんて夢のようでした。今でも大切な宝物です」。

大ベストセラーの絵日記本『はげまして はげまされて』(廣済堂出版)の著者、竹浪正造さん。

大ベストセラーの絵日記本『はげまして はげまされて』(廣済堂出版)の著者、竹浪正造さん。

藤田さんの実家は、「ツル多はげます会」の創設者であり、大ベストセラーの絵日記本『はげまして はげまされて』(廣済堂出版)の著者としても知られる、竹浪正造さん(97歳)のご自宅のすぐ近く。竹浪さんが町会議員時代にガリ版刷りで発行していた手作り新聞に掲載していた漫画にも影響を受けたという。「竹浪さんの漫画、おもしろいな。おれも描いてみようかな」。読むだけでなく、自分も表現してみたいという欲求がムクムクと湧いてきた。

子どものころの遊び場は、実家の近くの八幡宮にあった大きなタモの木。「木の根元に大きなほこらがあって、ろうそくをつけて4、5人でトランプ遊びをするんです。朝、起きるとまず子どもたちはタモの木に集まってくる。子ども時代の原点の場所ですね」。

心のなかに生き続ける、思い出のタモの木

五所川原高校では、絵画部の部長を務めながら、演劇部、文芸部、新聞部と4つの部活を掛け持ち。卒業後は、当時、五所川原市にあった「青森民友」の新聞記者を経て公共職業安定所の職員になり、五所川原に配属になった。

版画のルーツは20歳のとき。かつて、藤田さんが青森民友で小説の挿絵を描いていたことから、当時の新聞社の上司・木村功さんからお声がかかった。「『西北のむがしコ』(青森民友新聞社)という本を出版するにあたり、口絵を版画で作ってみないか」。藤田さんは、迷わず思い出のタモの木をモチーフに版画を制作。赤と黒を斬新に配した現代アートを思わせる表紙も、藤田さんによるものだ。

子どものころの遊び場だった、思い出のタモの木。

子どものころの遊び場だった、思い出のタモの木。(写真:藤田さん所蔵)

しかし、それから2年後、老朽化したタモの木は倒木の危険があるということで切り倒されることに。「哀しかったですよ・・・。だから、せめて倒れる瞬間を見届けたくて、仕事を休んで見守ったんです」。
力自慢の男たちが代わる代わるのこぎりを引き、日が暮れるころには町民たちが縄で引っ張った。ドーンとすさまじい地響きとともに倒れた朽木のてっぺんには、可憐な野の花が咲いていた。アザミにタンポポ。鳥のふんに混じったものか、枯れた木のくぼみに落ちた種が、ひっそりと花を咲かせていたのだった。
朽ちてなお、新しい命を宿す御神木にインスピレーションを得た藤田さんは、この日の出来事を幻想的な小説にまとめ、「第73回 読売新聞短編小説賞」に応募。惜しくも大賞は逃したものの、選者を務めた小説家・臼井吉見(うすい・よしみ)が寸評を書いてくれた。
「鶴田の思い出のタモの木を、版画や小説のなかに残せたことがうれしい。タモの木の写真は、今もアトリエの壁に張って毎日眺めているんですよ」。

思い出のタモの木などをモチーフにした版画。

思い出のタモの木などをモチーフにした版画。

著書『看護婦のオヤジがんばる』が映画に
涙と笑いの夫婦物語が大反響

23歳で八戸の公共職業安定所に配属になり、本格的に版画を始めた。数年後、看護師だった陸子さんと結婚。月の半分は夜勤がある陸子さんは過労で倒れるほどの激務で、藤田さんは家事や2人の娘の子育てに追われた。「おしめを洗い、ミルクを飲ませ、1人をおぶって1人を抱っこして買い物に行くのは日常茶飯事。イクメンの元祖ですよ(笑)」。

夫として父親として、最大限の努力を惜しまなかった藤田さんだが、自身もサラリーマンである以上、やはり限界がある。そこで、藤田さんは74年、看護師の労働条件の向上をめざして朝日新聞に投書し、「看護婦のオヤジ集まれ!」と呼びかけた。すると、その日から電話は鳴りっぱなし、激励の手紙は郵便受けにあふれんばかり。あっという間に、全国にネットワークを持つ「看護婦のオヤジの会」発足へとつながった。さらに、国会でも藤田さんの投書がたびたび取り上げられ、ついには国会をも動かしたのだった。

また、このころの生活をモデルに書いたノンフィクション『看護婦のオヤジがんばる』シリーズ(あゆみ出版)は、80年に前田吟主演で同名映画化され、全国から反響を呼んだ。看護師の激務をこなす妻、その妻を支える夫と2人の娘の家族愛をユーモアたっぷりに描いた感動作は、昭和55年度文化庁優秀映画賞を受賞した。

公務員時代から、版画家、漫画家、エッセイストとして様々な作品を制作。

公務員時代から、版画家、漫画家、エッセイストとして様々な作品を制作。

少年のようにまっすぐな夫を、
優しいまなざしで見守る妻

99年に退職した藤田さんは、その後も精力的に活動を展開している。「道の駅つるた」では、藤田さんの版画をラベルに使用したワインスチューベンジュース、りんごジュースなどを販売中で、観光客からも人気を呼んでいる。

版画ラベルを採用したりんごジュース、スチューベンジュースは観光客にも人気。

版画ラベルを採用したスチューベンジュース、りんごジュースは観光客にも人気。

08年に制作した「津軽鉄道」(五所川原市)の「津軽鉄道七不思議カレンダー」は、津軽鉄道の季節ごとのイベント列車を七不思議として版画で紹介したもの。
「浜辺でもないのにするめ焼くにおい―ストーブ列車」
「庭先でもないのに風鈴涼を呼ぶ―風鈴列車」
など、温かみのある木版画と、ユーモアあふれるフレーズに思わず笑みがこぼれる。
12年9月~10月には、八戸ポータルミュージアムはっちにて、版画展「藤田健次の世界」を開催。現在も同館でカレンダーの常設展示を行っている。

14年には、『ふじたけんじの生活マンガ』(青森文芸出版)を発行した。「子どもらの寝息たしかめ久々の妻と二人の浴槽まぶし」など、若かりしころの、夫婦の甘酸っぱい思い出も綴られている。
「ちょっとエッチなんですよ、私の漫画(笑)。でも、モデル(妻)がよく怒らないで描かせてくれたもんだなあ。夢中になると、何でもとことんやらないと気が済まない。困った性分ですよ」と、いたずらっ子のように笑う藤田さん。そんな藤田さんの横顔を陸子さんが、優しいまなざしで見守っていた。

優しいまなざしで見守る陸子さん。作品とともに、夫婦の思い出も増えていく。

優しいまなざしで見守る陸子さん。作品とともに、夫婦の思い出も増えていく。

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