夢はWBCムエタイ王座、世界2冠王獲得
ふるさとの誇りを胸に、闘い続ける
猛烈なパンチ、キック、さらには肘打ちや膝蹴り、芸術的なフェイントなどで、世界最強の立ち技といわれる「ムエタイ」。長い歴史と伝統を持ち、タイの国技としても知られる。
2015年7月12日、青森県五所川原市の「プラザマリュウ五所川原」で行われた、青森初の格闘技イベント「闘魂祭inつがる」では、ムエタイ、総合格闘技、ボクシングなど青森出身の格闘技選手が集結し、熱い闘いが繰り広げられた。
この日のメインイベント・WPMF世界フェザー級王座決定戦で、一戸総太選手は、約1,300人の観客が見守るなか、タイのウィティデート選手を下し、見事チャンピオンに輝いた。WPMF世界2階級制覇である。
K-1に憧れ、
向かうところ敵なしだった高校時代
鶴田町の小、中学校に通っていた少年時代。一戸さんは、野球、水泳、相撲となんでも器用にこなすスポーツ万能少年だった。小学1年から6年までピアノを習い、ギターも演奏。でも、どれも今ひとつ夢中になれない。そんなとき、青森市出身のボクシングの畑山隆則選手の試合を見て衝撃を受けた。
「なんぼカッコいいば。ワも格闘技やってみてー!」。
中学3年のとき、友達に誘われて空手道場に通い始めた。新しい技を覚える楽しさにはまり、一人でとことん技を追求できる個人競技も肌に合った。
当時、日本中を席捲していたK-1ブーム。空手出身のファイターが激闘を繰り広げる試合は、一戸少年の心をいっそう駆り立てた。
「ワ、中学校出はったら東京サ行って、プロの格闘家サなる!」
高らかに両親に宣言するも、「マネ!(だめ!)」の一言であえなく却下。「高校だけは、出でおげ」というアドバイスを受け、五所川原工業高校に進学した。
高校では空手部に入部。午後6時に部活が終わると、週2日ずつ鶴田の空手道場と五所川原の極真空手道場に通い、さらに、日曜日は弘前の道場で練習に励む日々。
天性の身体能力と抜群のセンス、人一倍の努力もあって、高校時代は敵なし。極真空手の大会では、学生の部ではなく一般の部に出場するほどの実力だった。
ムエタイとの運命的な出会い
世界最強の格闘技で頂点へと
高校卒業後は、プロの格闘家をめざして上京。印刷会社で働きながらキックボクシングのジムに通った。そこで、ムエタイ9冠王のタイ人指導者と出会う。
「相手の攻めをかわして攻撃する技の種類の豊富さ、ずば抜けたテクニック。圧倒されましたね。まさに、世界最強の格闘技。どうせ挑戦するなら、ムエタイで世界チャンピオンをめざしたいと思ったんです」。
残業が多かった会社を辞め、パチンコ店の店員、引越し作業員、マンションの排水溝の清掃員など、さまざまなバイトで生活費を稼ぎながらムエタイを習得した。
その後、ムエタイ専門のジムを探し、ウィラサクレック・フェアテックスジム本部へ入門。18歳でライセンスを取得し、19歳でプロデビュー。「肘や膝を使っての攻撃、相手の顔への攻撃が許されるなど、空手とは違うルールに体が慣れず、最初はなかなか勝てなかった」と、振り返るものの、その後は快進撃が続く。
2011年4月にWPMF日本バンタム級初代王者、13年6月に同スーパーバンタム級王者、同年9月に同級世界王者、15年7月には同世界フェザー級王者と、世界2階級制覇を成し遂げた。ムエタイの最高峰とされる、バンコクのルンピニー、ラジャダムナンの2大スタジアムのうち、ルンピニータイトルにも2度挑戦し、ルンピニースタジアム1勝(1KO)最高位スーパーバンタム10位の成績を持つ。
あふれんばかりの鶴田愛
地元の誇りを背負ってリングに立つ
現在は、所属ジムの指導員として、大人から子どもまで幅広い世代を対象に指導を行いながらトレーニングに励む毎日。練習もハードだが、それよりもっと辛いのは減量だという。「階級を上げる前は、1ヶ月半で10~13kg減量してたんです。試合前はしんどくて、毎回引退しようって思います(笑)」。
一戸さんのブログ「おら、東京でムエタイやるだ!!」のタイトルは、大好きな吉幾三さんのヒット曲「俺ら東京さ行ぐだ」にあやかったもの。試合の入場曲は、「立佞武多」。東京でも、応援席から「ヤッテマレ~、ヤッテマレ~」のかけ声が飛ぶ。
「『わったすけ、ふったつけでまれ(とことん、やっつけてしまえ)』っていう津軽弁の声援が聞こえると、『お、青森の人いだな。よし!絶対に負げらいね』ってアツくなります」。
試合用のトランクスには、鶴田町の町章が縫い付けてある。「自分は青森の代表として、鶴田の誇りを背負ってここに立っている。町章は絶対に床に付けたくない。だから、今まで倒れたことないんです」。
東京の大森駅に張られていた鶴田町のシンボル「鶴の舞橋」のポスターに歓喜し、東京のスーパーで青森産スチューベンを見ると「あ、鶴田のブンド(ぶどう)でねべが?」と、確かめたくなる。ふるさと・鶴田に対する想いは誰よりも強い。
たくさんの人に鶴田の魅力を伝え、
大好きなふるさとに恩返ししたい
帰郷するたび、決まって出かけるのは大好きな鶴田の温泉。「今朝も温泉サ入ってたら、ジサマんど(おじいさん達)、『ワイ!てっきり外人だと思ったジャ』って。知らない人でもみんな、けやぐ(友達)みたいに話しかけてくる。人がすごくあったかい。鶴田、最高っすよ(笑)」。
試合中はケガが絶えず、歯が唇を貫通し15針も縫ったり、首のヘルニア、足首の捻挫など、全身のダメージは計り知れない。しかし、それでも夢を追い続けることができるのは、ふるさと鶴田の人たちの声援、地元企業、そして仲間の支えのおかげだという。
「ここまで来られたのも、さまざまな方の応援があったから。人と人のつながりが何よりうれしいし、自分ががんばることで恩返しできれば。目標は、WBCムエタイでチャンピオンになり、世界2冠王を獲得すること。そして、3度目のルンピニーにも挑戦したい」。
カメラを向けると、チャンピオンベルトを巻いてガッツポーズを取ってくれた。そして、頭にはオリジナルの「TSURUTA」の帽子がキラリ。しっかり町章も縫い付けてある。「NY、LAがあるんだから、TSURUTAもあってもいいべ、と勝手に作ったんです。あ、でも、ちゃんと町長の許可もらってますから(笑)」。
愛する鶴田をPRしながら、一戸さんはこれからも夢に向かってがむしゃらに走り続ける。