湖のきらきら双子のお山
津軽富士見湖
県内最大の貯水湖。万治3(1660)年、弘前藩4代藩主信政が新田開発のために堤防を築き、用水池にしたといわれています。
堤防は延長4.2キロメートルと日本一長く、湖面に津軽富士・岩木山を映すことから、「津軽富士見湖」と命名されました。
平成22年には、農林水産省の「ため池百選」に選ばれています。
津軽富士見湖は格別な存在
このまちの人々にとって、津軽富士見湖は格別な存在だ。
なんといっても、春がいい。
田植えをひかえ、たっぷりと水をたたえた湖は、田畑をうるおす命の水がめ。湖面には岩木山が映り、桜の花びらがはんなり。双子のお山も美人顔。
なんといっても、夏がいい。
きらきら光る水辺は、涼を呼ぶ憩いの場。湖面をわたる風がここちよい。日が暮れて橋の欄干のライトが灯り始めると、まるでホタルが乱舞しているかのよう。湖面にゆらりと映り、ロマンチックなムードを漂わせる。
なんといっても、秋がいい。
夕陽を浴びて、鶴の舞橋が美しいシルエットを描き出す。いつかどこかで見たような、心のなかの原風景。
なんといっても、冬がいい。
たくさんの渡り鳥が越冬し、水辺の楽園はにぎやか。丹頂鶴自然公園で、鶴たちの求愛ダンスが見られるのもこの時期である。
パワースポットとしても人気
語りつくせない魅力に満ちた津軽富士見湖は、最近、パワースポットとしても人気を集めている。
鶴の舞橋は日本一“長い木”の橋ということで、長生き、長寿の橋。さらに、ここから岩木山を望むことができるため、岩木山がもつ開運や心身清浄のご利益もあるといわれる。また、丹頂鶴自然公園は、つがいの丹頂鶴が飼育されていることから、恋愛、縁結びのパワースポットとしても知られる。
津軽富士見湖にまつわる、悲恋伝説
今から600年前、津軽鶴田町を統治していた清水城の城主・間山之守忠勝は、隠里の太右衛門の娘・白上姫と出会い恋に落ちました。
しかし、間山之守はほかの女性と結婚。姫は悲しみのあまり大溜池に身を投げ、その遺恨は白龍となり、忠勝を苦しめ続けたといいます。
平成24年の青森ねぶたでは、この悲恋をテーマに、「消防第二分団ねぶた会・アサヒビール」が「津軽富士見湖伝説 鶴の舞橋」(作・千葉作龍)を制作・運行して話題を呼びました。
悲恋物語題材の版画、第39回現代童画展入選
津軽富士見湖の悲恋物語の一場面を題材に、鶴田町の菊地咲子さん、さくらさん親子が制作した版画が、「第39回現代童画展」で入選しました。
この版画は、鶴田町出身のアーティストらを講師に招いた「受けたい授業プロジェクト2013」で、菊地さん親子が、同じく鶴田町出身の版画家、藤田健次さんの指導を受け制作されました。