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葛西頼之さん(津軽三味線奏者)

伝統と革新の融合で、
津軽三味線の魅力を世界へ届ける

192cmの体躯からなる、迫力あふれる津軽三味線の音色。ソウルフル、かつ繊細で心に染み入るような音が鳴り響き、魂をわしづかみにされる。
津軽三味線奏者の葛西頼之(かさい・よしゆき)さんは、青森県鯵ヶ沢町出身、鶴田町育ち。9歳で三味線を習い始め、18歳のとき、「津軽三味線全国大会 in KOBE」において日本一獲得、翌年、大阪で開催された「津軽三味線全国大会」でもチャンピオンに輝いた。2015年には「津軽三味線世界大会」のA級男性部門で優勝し、三連覇を達成。現在、開催している津軽三味線の全国大会・世界大会において、全階級・全部門制覇を成し遂げた。
伝統を大切にしながらも、洋楽器やさまざまなジャンルのアーティストとのセッションを精力的に行い、国内外に津軽三味線の魅力を発信し続けている。

津軽三味線の演奏に、
雷が落ちたような衝撃を受けて

葛西さんが、初めて津軽三味線に出会ったのは、鶴田小学校時代。「友達がやりたいと言うので、『へば、ワもやるがな』って、学校の三味線クラブに入ったのがきっかけです」。
当時、クラブには、鶴田在住の津軽三味線奏者・長峰健一氏が講師として指導に来ていた。「長峰先生の演奏を聴いたとたん、体に雷が落ちたような衝撃を受けたんです」。おりしも、若き津軽三味線奏者・吉田兄弟が全国的に活躍していたころ。「三味線ってかっこいい!」。長峰氏の圧巻の生演奏は、葛西さんの心を一瞬でつかんだ。
津軽弁で、「ぞくぞくする」、「血が騒ぐ」ことを、「じゃわめぐ」と表現するが、まさにこの瞬間、葛西少年をとりこにしたのは、「じゃわめぐ」感覚だった。

津軽三味線のスケールの大きさに魅了され、津軽三味線奏者の道へ。

津軽三味線のスケールの大きさに魅了され、津軽三味線奏者の道へ。

葛西さんの父は、もともと東京で10年間プロのギタリストをめざしていた経験があり、葛西さんも幼いころから父の音源を子守唄として聴き、ギターをおもちゃ代わりに育った。
「楽器が好きで、誕生日プレゼントにベースを買ってもらったこともあった。でも、まさか自分が三味線に惹かれるとは思いもよらなかったですね。三味線の魅力は、スケールの大きさでしょうか。ベースもメロディもコードも弾ける和楽器は、三味線しかない。すごく奥深いんです」。
葛西さんは、クラブの練習時間だけでは物足りず、学校から三味線を借りて毎日家で練習に励んだ。

「ぼくが三味線を弾けるようになって一番喜んだのは、うちのじじばば。両親が共働きだったので、放課後はじじばばの家サ帰るんですが、出身地の民謡『鯵ヶ沢甚句』を弾くと眼を細めて喜んでくれて。うれしかった。男ってバカだから、ほめられるとメッチャがんばるんスよ(笑)」。
葛西さんは、中学に入学すると、長峰氏のもとに何度も足を運び弟子入りを願い出た。そして、ついに認められ、中1のときに弟子入りの夢を果たした。

ジャンルを越えたセッションで
津軽三味線の新しい可能性を見出す

鶴田高校に進学した葛西さんは、全国大会でも頭角を現し、07年18歳のとき、「津軽三味線全国大会 in KOBE」で日本チャンピオンに輝き、「文部科学大臣賞」を受賞。08年には、大阪で開催された「津軽三味線全国大会」でチャンピオンを獲得し、「青森県知事賞」、「大阪市長賞」など5つの賞を受賞した。
18歳で民主音楽協会とプロ契約。しかし、まだ知名度がないため、すぐに仕事には結びつかなかった。そこで、葛西さんは、貿易会社に勤務し、ディーラーとしてアジア各国を飛び回りながらお茶やコーヒーの取引を行った。

転機が訪れたのは、商談で香港を訪れたときのこと。アジアに進出したばかりのクラブで、日本ではまだ馴染みのなかったクラブミュージックに出会い、衝撃を受けた。同じころ、香港に出店予定の日本企業のCMソングに関わり、ラップミュージックと津軽三味線のセッションを初体験。CMソングは香港でヒットし、逆輸入の形で日本にも入ってきた。
「それまで民謡しか弾いたことがなかったんですが、他のジャンルとのセッションによって、津軽三味線の新たな可能性が広がっていく手ごたえを感じましたね」。

さまざまなジャンルのアーティストや楽器とコラボ。海外でも人気が高い。

さまざまなジャンルのアーティストや楽器とコラボ。海外でも人気が高い。

20歳で貿易会社を退社。その後は、国内外問わず、さまざまなジャンルのアーティストや楽器とコラボし、ライブや公演を展開している。吉田兄弟の弟・吉田健一さん率いる若手トップクラスの津軽三味線奏者10人による、「疾風」(はやて)のメンバーとしても活躍し、俳優の大沢たかおや、ももいろクローバーZとの共演も行った。
「ここ10年くらい、疾風のメンバー以外に全国大会のチャンピオンの座は譲っていない。迫力たっぷりで10人で300人分の音が出せる、『三味線だけのフルオーケストラ』です」。

これまで世界30カ国で演奏を行い、今も年間10カ国で海外公演を行う。スペイン公演では、三味線にアンプをつないで迫力あるステージを展開。「熱狂的なファンも多く、チケットが15分で完売しました」。

自分のバックボーンにある、
鶴田という街の素晴らしさ

2015年秋、葛西さんは、10年暮らした首都圏での生活にピリオドを打ち、奥さんと子どもの3人で鶴田に拠点を移した。今、あらためて再認識しているのは、自分のバックボーンにある鶴田という街の素晴らしさだという。
英語、中国語、韓国語を話す葛西さんだが、「身構えずに外国人と話せるのは、国際交流の街・鶴田で育った影響が大きい」と振り返る。
実家のすぐそばに外国人が住む借家があり、街や学校でも国際交流員や留学生と日常的に会話をする環境が整っていた。鶴田高校時代の英語の先生は、英検1級の資格を持っており、教科書を使わず「生きた英語を教える」ことに尽力していたという。「ニューヨークタイムズ」を訳したり、教室に外国人の友達を連れてきては会話を楽しんだ。「当時の同級生にも、英語力を生かしてツアーコンダクターやホテルマンとして働いている人がいます。鶴田には、国際社会で活躍できる人材を育てる土壌があるんですよ」。

鶴田町はフッドリバー市と姉妹都市を締結しており、国際交流のための土壌が整っている。

鶴田町はフッドリバー市と姉妹都市を締結しており、国際交流のための土壌が整っている。

三味線の練習をした、富士見湖パーク。

三味線の練習をした、富士見湖パーク

スタジオを借りるお金の余裕がなかった時代は、富士見湖パークで三味線の練習をした。湖にかかる「鶴の舞橋」、そして津軽平野の向こうに見える岩木山は、葛西さんの心の原点でもある。
また、「朝ごはん条例」を制定するなどの先駆的な取り組みや、地域に根ざした祭りやイベントによって、「三世代交流」が自然な形で継承されている素晴らしさも挙げる。「鶴田のすごさは、離れてみるとつくづくわかる。鶴田すげーなって」。

夢は、鶴の舞橋を舞台にした
『光と音のステージ』。

現在、葛西さんは、鶴田町の小・中学校などに眠っている三味線を利活用して、子どもたちや地域の高齢者を対象に津軽三味線の教室を開きたいと準備を進めている。

津軽三味線の世界大会・王者から津軽三味線を学ぶことができる。

津軽三味線世界大会・王者から津軽三味線を学ぶことができる。

さらに、その先には大きな夢も抱いている。「夜の『鶴の舞橋』を舞台に、50人で鶴の隊列を組み、LEDをつけた津軽三味線を演奏したい。湖には屋形船を出して、最後は花火大会で盛り上げる。首都圏から人を呼ぶ、鶴田の観光の目玉にしたいですね。何年かかっても絶対にやりますよ!鶴田っ子は、鶴田が大好きなんです。」
ワールドワイドに活躍するアーティスト・葛西さんの、ふるさと・鶴田を舞台にしたセカンドステージが楽しみだ。

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