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弥生画

豆や米粒に込められた、人々の祈り。
全国で唯一の穀物アート「弥生画」

鶴田町に藩政時代から伝わる「弥生画」は、五穀豊穣を願い、額に穀物の種子を一粒ずつ貼り付けて仕上げたもの。全国で唯一、鶴田町で継承されている弥生画の歴史は、「天明の大飢饉」の頃にさかのぼる。

天明元~8(1781~88)年まで8年間続いた飢饉により、津軽領内では餓死者が相次ぎ、人口の3~5割が亡くなったともいわれている。
江戸時代の紀行家・菅江真澄は、天明8(1785)年に西津軽郡旧・森田村床舞を通りかかった際に、白骨化した死体がうず高く積まれている様子など、この世の地獄とも思えるような飢饉の惨状を『外が浜風』に記している。

藩政時代から伝わる「弥生画」は今でも伝統行事として鶴田町で息づいている。

藩政時代から伝わる「弥生画」は今でも伝統行事として鶴田町で息づいている。

寛政元(1789)年は夏中、日照りが続き、思い余った村人たちは残り少ない種子を持ち寄り、餅で作ったのりで板に張り付けて雨の神様に祈願した。その種を土に植えたところ、翌年は大豊作になったことから毎年行われるようになったという。

弥生画の名称は、弥生時代に中国から日本に穀類や種子などが移入されたことにちなんで命名されたといわれている。

五穀豊穣を願って

現在は、町内の「元町弥生会」と、「山道弥生保存会」が継承しており、毎年、9月頃に下絵に取りかかる。絵の題材は、来年の干支や七福神など、五穀豊穣を願って毎年決めているという。
11月下旬になると、いよいよ種子の貼り付け作業である。細い線は菜種や粟(あわ)、太い線は小豆などの粒の大きいもの、白い部分はうるち米、赤い部分は赤米など。十数種類の穀物の色や形を使い分け、削った割り箸やピンセットを使い、ひと粒ずつボンドで張り付けていく。穀物の色をいかし、いっさい着色をせずに仕上げるのも弥生画の特徴だ。
こうして完成した弥生画は年末になると、元町弥生会は「鶴田八幡宮」へ、山道弥生保存会は「山道闇おかみ神社」へそれぞれ奉納。初詣に訪れた人々は、鳥居に掲げられた弥生画を仰ぎ見ながら、新しい年に願いを託す。
1ヶ月後には、「道の駅つるた」に運ばれ、大豆・加工施設の西側に設けた常設展示場に1年間展示する。

かつて、死を覚悟で自分たちの貴重な「生きる糧」を捧げ神に祈った、この地の先人たちの想い。穀物が織りなす精巧な絵には、そんな精神が脈々と受け継がれている。

菜種や粟(あわ)、太い線は小豆など様々な穀物を使い作られる。

菜種や粟(あわ)、太い線は小豆など様々な穀物を使い作られる。

いっさい着色をせず、穀物の色をいかして制作する。

いっさい着色をせず、穀物の色をいかして制作する。

出来上がった弥生画は、神社(鶴田八幡宮と山道闇おかみ神社)へ奉納される。

出来上がった弥生画は、神社(鶴田八幡宮と山道闇おかみ神社)へ奉納される。

小豆など貴重な「生きる糧」を神へ捧げ、五穀豊穣の祈る。精巧で鮮やかな画には先人たちの思いも受け継がれている。

小豆など貴重な「生きる糧」を神へ捧げ、五穀豊穣の祈る。精巧で鮮やかな画には先人たちの思いも受け継がれている。

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