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竹浪正造さん

絵日記つづり半世紀
名実ともにベストセラーに”輝く”

ハゲ頭の会員たちが、吸盤綱引きなどで自慢のアタマを競う「ツル多はげます会」の創設者・竹浪正造さん。

平成23年には、56年間描書き続けていた絵日記本『はげまして はげまされて』(廣済堂出版)が出版され、全国から大反響を呼んだ。家族のだんらん、3人の子どもが成長していく姿、巣立ち、そして最愛の妻との別れ。
なにげない暮らしのひとこまを、ほのぼのとした絵とユーモアあふれる文章でつづった著書は、多くの人の共感と涙を誘いベストセラーとなった。

平成24年8月には、第2弾となる『一生一途に』(廣済堂出版)を出版。94歳の今も毎日、絵日記を描き続け、現在ノートは2300冊以上になった。

ハッハッハ。
昔はもっといいオドゴ(男)だったんだけどな~(笑)

「いらっしゃい。さあ、どうぞ」と出迎えてくれた、若々しい容姿にまず驚く。スラリとした体型、ツヤツヤのお肌、きらきらとよく動く瞳。どこから見ても、94歳のお歳が重ならない。
「ハッハッハ。昔は、もっといいオドゴ(男)だったんだけどな~(笑)。今は、ホレ、ここ、膝が痛くてね」。
それでも、いつも「ガタガタ自転車をこいで」、買い物や歯医者にも一人ででかける。「一人暮らしだからね、食事も毎日自分で作るの。今日の午前中はグラウンドゴルフに行って、12ホール2回やってきましたよ」。

笑顔で話す竹浪正造さん

バラエティTV番組「ナニコレ珍百景」で紹介され、今やベストセラー作家。

もっとハゲを集めてウサ晴らしをしよう

ツル多はげます会の吸盤綱引き

頭にひもの付いた吸盤をつけ引き合う「吸盤綱引き」。竹浪さんは1対4で勝負するほど。

ツル多はげます会の誕生は、平成元(1989)年のこと。

「ある日、スナックでコップ酒飲んで、すっかりご機嫌になっていたところ、そこにもう一人ハゲが来た。
こうなったら、もっとハゲを集めてウサ晴らしをしようと。それで、みんなで集まったのが2月22日、ツルツルの日(笑)。

でも、野郎ばかりじゃつまらないもんな。

そうしたら、行きつけのスナックの女性たちが慰問に来てくれて。
ハゲも悪くないもんだって、みんなで盛り上がってね。それで、23年続いてるの(笑)」。

ツル多はげます会の「吸盤綱引き」で優勝

中秋の有多毛の「吸盤綱引き」で優勝し、こけしトロフィーを受け取った竹浪さん。メディアへのインタビューにも笑顔で応える。

洒落っ気あふれる活動の様子は、たちまち評判に。
これまで、海外メディアも含め、230回以上の取材を受けた。
まさに、輝く光のごとき、吸引力である。

絵や文章を書くのが好きな少年だった。

絵日記を書く竹浪正造さん

さらさらと色鉛筆で絵日記を書き進めていく竹浪さん。

旧満州で満州鉄道に勤務後、関東軍に入隊。復員後、東北電力に勤務した。
「当時は、“漫画の竹正(タケショウ)”と呼ばれて、会報や社内報にひっぱりだこでしたよ。
昭和48(1973)年、退職記念に『春秋漫歩』という500ページの漫画本を自費出版することが決まると、予約だけでたちまち900部を突破して、驚きましたね」。
「ふるさとの民族 むかしの遊び」は、『広報つるた』に10年間連載。『鶴田町史』にもイラストが掲載されている。

絵日記は、昭和29(1954)年に、当時2歳だった長男・正浩さんのわんぱくぶりを記録しておこうと描き始めたのがきっかけ。

「こうやってね、忘れないうちにまずメモ用紙にさっとスケッチして、家に帰ってから大学ノートにまとめるんです」。
そういって見せてくれたのは、つい2、3日前に鶴田町で開催された「フッドリバー市姉妹都市締結35周年記念式典」のメモ。スケッチや料理のスナップ写真をもとに、絵日記には、パレードやお膳のメニューなどが生き生きと弾むようなタッチで描かれている。
出版以来、全国からファンレターが届く。
「手紙やハガキもこうして、ノートに貼っておいてるの。新聞の切り抜きもね。
死んでからでも、何かの役に立つんじゃないかと思って」。

戦争体験も、家族の歩みも、記録し続けることで財産となる。

竹浪正造さんの絵日記

描いた日記を振り返り姉妹都市フッドリバー訪問の思い出を楽しそうに話す。

第2弾となる著書『一生一途に』(廣済堂出版)では、終戦後に朝鮮半島から、身重の奥さんと苦労して引き揚げてきた経験などを取り上げた。

「当時、3つ上の兄は、兵隊を教育するために中国へ派遣されており、弟はフィリピンで戦死しました。
戦時中の風潮として、息子を戦地に送り出す母親は、『軍国の母』と称えられ、大変名誉なことでした。
復員後、それについて母に聞いたことがあるんです。
そうしたら、母は、『子どもを戦争にやって喜ぶ親なんているものか。そんな親はどこにいるもんだ。本当に、よく無事で帰ってきてくれた』って。母は、私たちが戦地から戻るまで、毎朝、お宮参りをして無事を祈ってくれていました」。

戦争体験も、家族の歩みも、記録し続けることでかけがえのない財産となり、大きな意味をもつ。自分史でありながら、その枠を超えて多くの人々の心の琴線にふれるのは、竹浪さんの優しいまなざしと優れた洞察力、そして、生まれ持った茶目っ気のなせる技だろう。
マルチな才能を開花させ、ますます“光り輝く”竹浪さん。かの寺山修司の言葉を借りれば、「職業は、竹浪正造。」といったところか。今日も、全国にファンが増殖中だ。

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