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鶴田町はこんな町津軽の中心に位置する鶴田町

鶴田町はこんな町

鶴田町のおいたち

鶴田町の大部分は、津軽藩の開拓事業にともなって発生したものといわれており、文献に現れた最も早い時代で慶長年間(西暦1596~1614年)となっています。この当時、開拓に従事したのが胡桃館を開村した斉藤兵庫助や、木村弥次郎などで、いずれも青森県史に表れています。

津軽3代藩主信義の時代は、開拓が非常に活発に行われたといわれ寛永17年(1640年)には瀬良沢村が現れ、同年間には現在の鶴田、野木、木筒、沖なども開発されたといわれています。
文禄元年から正保2年(1645年)までの54年間における開拓村を、正保2年12月28日幕府へ提出された津軽知行高之帳から当時関係の村々をさがせば、胡桃館62石5升、瀬良沢134石48升、木筒44石80升、中野23石80升、菖蒲川260石、鶴田132石の6ヵ村となりました。

鶴田町のおいたち鶴田町のおいたち

また、旧水元村の一部からは土器の破片が出土されていることから「現今廻堰大溜池の改修工事の土取場である清水森からは盛んに土器の破片が出土しています。
これらの破片は縄文式土器の前期から中期、更に後期晩期にかけてのもので(中略)大溜池に突出している俗称野木山と称する処から無数に出土する。中には土師器(ハジキ)、須恵器(スエキ)と称する土器の破片も混在する所から、この地一帯は少なくとも数千年前から千年前後まで原住民の移住しておった処と創想像せられる。」(水元村誌から原文のまま)

明治21年10月には市町村制が行われ、それまで集落を単位とした23の村が併合されて、それぞれ鶴田村、水元村、梅沢村、六郷村の4ヵ所となり、その後昭和16年10月には鶴田村が町となりました。

位置・地勢

青森県鶴田町は、津軽平野の中央に位置し、北東に五所川原市、西津軽郡柏村に接し、西につがる市、南に弘前市、北津軽郡板柳町に境しています。
町の地形は西より東へと延びており、西には岩木山麗に続く一面の原野と山林におおわれ、ほぼ中央部を岩木川が縦断し、鶴田、六郷、梅沢と行くに従い、水田の占める割合は増しています。

鶴田町の概要

鶴田町町章

人口・世帯 14,179人[男:6,650人 女:7,529人]
5,296世帯
(平成24年8月末現在)
面積 46.43平方キロメートル
町章 円の上半分はカタカナの「ツ」を下半分は同じく「ル」それぞれ図案化し、「鶴」を象徴化したものです。
町の木
町の花 りんごの花
町の鳥 丹頂鶴
キャッチフレーズ 鶴と国際交流の里

鶴田町町民憲章

鶴田町町民憲章

わたくしたちは、秀峰岩木山を仰ぎ、母なる岩木川に抱かれ、恵まれた自然をもつ鶴田町民であることに大きな喜びと誇りを感じます。
わたくしたちは、輝かしい歴史と伝統の上に新しい時代のいぶきを加え、すべての町民がより幸せな生活をいとなむため、この憲章を定めます。

一.花と緑を育て、明るく公害のないまちをつくりましょう。
一.スポーツに親しみ、健康で住みよいまちをつくりましょう。
一.仕事に誇りをもち、生産を高め豊かなまちをつくりましょう。
一.年よりをいたわり、若い力を伸ばし希望あふれるまちをつくりましょう。
一.教育をすすめ、創意を生かし文化の花咲くまちをつくりましょう。

鶴田町でのとりくみ

鶴田町朝ごはん条例

鶴田町朝ごはん条例

朝ごはん条例は、町民一人ひとりが「ごはん」を中心とした食生活ができる環境づくりと消費者に安心・安全な米や野菜、果物を供給する体制づくり、子どもの頃からの食の大切さや食文化の継承と食育推進体制の強化など、6つの基本方針を掲げ、私たちみんなが健康で長寿の町づくりを目指すための指針です。

アメリカ合衆国オレゴン州フッドリバー市

国際交流の里 鶴田町

鶴田町は、1977年(昭和52年)7月27日にアメリカ合衆国オレゴン州フッドリバー市と姉妹盟約を締結し、2012年(平成24年)には、締結35周年を迎えました。
この長い歴史の中、子供から大人まで多くの人々がお互いの国を行き来し、交流を深めています。

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鶴田町役場

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〒038-3595 青森県北津軽郡鶴田町大字鶴田字早瀬200番地1
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